2011.05.29 (Sun)
三六災害を語るリレー座談会
三六災害から50年
時の流れは早いもので、1961(昭和36)年、長野県南部を中心に甚大な被害をもたらしたあの三六災害から50年の歳月が経ちました。
6月27日、飯田市では当時の6月の平年降水量230ミリをはるかに越える降水量325ミリを1日で記録。
これまでの雨で天竜川とその支流には崖崩れなどにより大量の土砂が流れ込み、支流からの溢水が本流の堤防を反対側から破壊したり、本流の川床が急激に浅くなったために各所で水が堤防を越えるなどの事態となりました。飯田市などでは川に流れ込んでいた流木が下流の決壊場所から市街地になだれ込んで被害が拡大、飯田盆地の広範囲が水没しました。
中川村でも四徳を中心に甚大な被害を被り、四徳の集団移住につながっていきました。
当時、私は小学2年生。自宅の東に位置する堤が決壊するとのことで、避難指示が出ました。
当時の中川東中学校(現中川東小学校)が避難場所となり、家族とともに降りしきる雨の中を急いで避難したのを覚えています。
特に祖母が、位牌を大事に持って避難する姿を今でも思い出します。
今回、三六災害50年を機に、「三六災害」をテーマにしたリレー座談会を15日、高森町を皮切りにスタートさせました。
中川村では、29日に中川文化センター(視聴覚室)において開催され、地元消防団や地区総代、議会議員や行政関係者など約100人が当時の様子に耳を傾けました。
講義では、信州大学の北澤秋司名誉教授が同災害の特徴や今後の森林整備方法を語った。北澤さんは災害当時、生田中学校(旧松川町立松川東中学校)の理科を担当する教員で実際に同災害を経験された。「三六災害の特徴を知りその教訓を伝承する」と題した講義では「三六災害は雨の水で流れた花崗岩、土砂で多くの人が亡くなった」と指摘。目の前をすさまじい速度で流下していく土石流や、非難した中学校体育館にも流れ込んだ土石流の恐怖を「雨の音と石の摩擦音だけで、土石流の音は聞こえなかった」と語られました。
災害の特徴を語る北澤名誉教授
また、伊那建設事務所の職員から「道路状況や気象情報など防災に関する50年の変遷」と題して報告がされました。
災害体験談では、当時、中川村四徳に居住し、実際に災害を体験した3人の方々が当時の様子を述べられました。
このうち、お二人は、当時の消防団活動を振り返り、家庭を顧みず、住民の避難誘導に全力を挙げたことなどを話してくれました。
また、避難場所や避難ルート、土石流発生の状況などを把握して非難するタイミングが大事とも述べられた。
当時のデータを基に詳しく話される北澤教授
この座談会は、三六災害の脅威や教訓を伝承し、地域防災意識の向上を図る狙いで開催され、6月にかけて伊那谷の各自治体などが主催しながら計8カ所で開催する予定となっています。
文化センターにおいて、パネル展も開催されている
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